【主な登場人物】
正やん お狐さん 湯豆腐屋の皆さん 竹やん 仔狐
【事の成り行き】
サギとまでは言わないまでも、男女の関係もある種ある瞬間騙し合いと言
えないこともありません。男性が狸で女性が狐に喩えられる場合が多いよう
ですが、どちらが騙してどちらが騙されるのかは存じません。騙しているつ
もりが騙されていた、人間の世界ではよくあることのようです。
お見合いのとき互いに交わす経歴書のことを「釣書き」と言うのだと聞い
たときには、何とまぁあからさまに言うものよと思ったのですが「釣」って
いうのは釣合いの取れたの釣であって、釣上げるの釣ではないのですよ。で
すから「釣書き」は正直にありのままの自分を書かなければなりません。
けど、社長以下５名、スポーツ新聞３行広告取りの会社員でも「広告代理
店勤務」だし、消費税課税免除の年商しかなくても「自営業」だったりする
のは、やっぱり釣合いよりも釣上げやったんやなかろかいなぁ、と胸に手。
(1997/03/23)
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
狐・狸は人を化かすといぅよぉなことをよく申したもんでございますね。
現にわたしら小(ち)さい時分に近所のオジサンが「わしな、昨日こぉこぉで
お風呂やと思て入ったらそこが何とかやった」とか「狐に自転車で物運んで
たら後ろの荷物を取られてしもた」とか、現にそんなオジサンやとかオバサ
ンが近所にはあったもんでございますね。
昨今あんまりそんな話聞きません。こらまぁひとつ、科学が進んだからと
いぅよぉなことも、みんなの考え方が合理的になったんやといぅ言ぃ方もで
きるかも分かりません。
ですから、あれをですね「それは酒に酔ぉてて自分が思い間違いしたんや」
とかね、よくグルグル・グルグル同じとこを回ったなんて言ぃますけど、あ
れだって昔は今みたいに明かりがありませんから真っ暗ですとね、人間真っ
暗なとこを、まぁゆわば極端にちゅうか分かりやすくいぅと目をつぶって前
へ歩きますと、どちらかへ偏るそぉですね、左か右に。
ですから、真っ暗闇ちゅうことはゆわば目をつぶって歩いてるよぉなもん
ですから、右寄りの人は右へ少し偏るわけですから、グル〜ッとひと回りす
ることなりますわねぇ。左の人は左へ回るといぅよぉなことで、そぉいぅ錯
覚やろとかね。
あるいは酒に酔ぉてて、何とかを何とかと間違ごぉて飛び込んだんやろと
かね、そぉいぅ合理的な説明できんことありませんけど、わたしはその説は
とらないのでございますね。
昔は本当に騙してたんでございますよ。で、昨今騙さなくなったんでござ
いますね。それ、なぜかっちゅうと、昔は人間が自然界の一員としての分を
守っておりましたので、狐・狸の側がですね、我々人間をも自然界の一員と
して認めてくれて、ゆわばこの、接触を図ってくれたわけですね。コンタク
トしてくれたわけです。
そらまぁ、化かす化かされるといぅことは“えらコミュニケーション”で
ございますからな。向こぉは「化かしてやった」こっちは「化かされちゃっ
た」て言ぅ“えらコミュニケーション”でございますね。
それが昨今、人間がまことに専横になりまして、自然界の一員でなくなっ
てですね、自分が王様みたいな顔して自然破壊して、ほかのものみな動物園
へ入れたりなんかして、ですから動物園ができて以来、狐・狸が我々のこと
を馬鹿にして化かさなくなったんですよね。
ですから、動物園の狐・狸は化けて逃げません。でも、おりますわねぇ。
ブサイクなやっちゃとも思てましたがね、何で化けて逃げへんのかいなと思
てましたけど、それから向こぉが我々のことをもぉ友達と思ってくれなくなっ
た、のでございますね。
一日(いちんち)も早くね、狐・狸に友達と思ってもらえるよぉな日が来る
ことを願う、今日この頃でございます。
●さ、さっぱわやや、何じゃい。だいたいあれだけの人数にあれだけの酒っ
ちゅうのはどんならんで、足るわけないがな。もぉこれで二、三合呑んだら
えぇあんばいでうち帰ってうどんでも食て寝るちゅなもんやけど。どんなら
んもぉ酔い醒めてきたがな。ブルッ、寒気がしてきたでどんならんで、ショ
ンベンしとなってきた、どんならんなぁホンマに……
●この辺の草むらでやで、ちょっと……、何やこれ、寝とぉる。犬かいな？
ん？ 犬にしたらちょっと尾が太いなぁ？ 狐や。わぁ〜ッ、こんなネキで
狐見たん生まれて初めてやなぁ。ハハぁ〜ッ、メンやなぁ母親や、子どもの
餌でも拾いに出よったんやろなぁ。ここらウロウロしてるうちにやで、この
陽だまりや、えぇお天気やさかいについウトウトッとして寝てしまいよった
んや。
●もぉ春やなぁ、狐……、狐っちゅうたら聞ぃてんねん友達の竹やん。こな
いだこの辺りウロウロしてたら、若ぁい嫁はん出て来て「えらいすんまへん
ねんけれども、この赤ん坊ちょっと抱いててもらわれしまへんやろか」言ぅ
て「よろします」言ぅて抱いてたら、その嫁はんなかなか帰って来(こ)ん。
ダンダンだんだん日は暮れてくるわ、赤ん坊はドンドンどんどん重となるわ。
●「何で帰って来(け)ぇへんのかいなぁ、何でこんな重たいのんかいなぁ？」
思てひょっと見たら石の地蔵さん抱いてたんや「何じゃいな」思てビャ〜ッ
と放り出したら、向こぉのほぉで狐が「コ〜ン」ちゅうて「へへへ」ちゅう
て笑ろたちゅうねん。びっくりして逃げて帰ったっちゅうのん、こいつや。
●よし、寝とんのん幸いや竹の仇討ちしたろ。天に代わって罰を与えてやら
なんだら……、どないしたろか知らん、とりあえず起こさないかんなぁ……
ちょと……、名前分からんなぁ、なんでもえぇわ。ちょっと、姐さん、姐さ
んッ！
揺り起こしにかかりましたんで。
狐や狸が人間化かすいぅ場合には狐狸側にですね、ちゃんと心の準備がで
きましてね「これから騙してやろぉ」といぅ、その態勢に入って向こぉが騙
しにかかるわけでございますが、この際はこっちからこぉ揺り起こされたん
でございます。
向こぉは完全に無防備で、えぇあんばいで寝てるところを揺り起こされた
わけでございますねぇ。恐らく、この彼女にとって生まれて初めて経験する
「不意を突かれる」といぅ驚きでございますねぇ。ビックリしたんでござい
ます。
ビックリはいたしましたが、さすが彼女もプロの狐でございます「姐さん」
と言われた声の調子から、二十四、五の綺麗ぇな年増に……
●化けよった！ えらいもんやなぁ……、何じゃいこれ、狐が化けたと分かっ
てる、わいが見て惚れぼれするがな。ちょっと輪郭がぼやけてるなぁ、寝起
きやさかいなぁ……。姐さん、どないしはりましたん？
▼へっ？ へぇ、あっいえ、いま何だすの、そこの高津さんへお参りさして
もらいましてハぁ。帰り道、お友達にはぐれてしまいましてな、ついウロウ
ロしてるうちに、ちょっとここで何かウトウト……
●いやぁ、さよかぁ〜、うまいこと言ぃよんなぁしかし……、疲れたはった
んちゃいますか。さよか結構です。どぉです、わたいも今、ちょっとこんな
ことしてましたんですけど、もぉ少〜ぉし呑み足らんなぁ思てたとこです。
お疲れになってんねんやったら、あんさんお疲れ休めに、わたいのちょっと
こんなんするのんお相手してもらわれしまへんか？
●「お供さしていただきます」て、まことに相すまんこってす、おっきあり
がとぉ、姐さんどぉぞこっち、どぉぞこっち……。いやぁ〜、こんな綺麗な
姐さんとご一緒さしてもらえんのも、こらやっぱり高津さん、高倉さんのご
利益です、ありがたいこってす。湯豆腐屋でよろしぃか？
●じゃぁするで、二階空いてるか、そぉか（トントントン）姐さんどぉぞどぉ
ぞ、どぉぞこっち……。あのなぁ、酒とりあえず二本ほど持って来てんか、
ちょっと熱いほぉがえぇで、じき持って来てやなるたけ早よぉに。
●まぁ姐さんどぉぞ、お座布あててもらいまして、まことに相すまんこって
す……、おっきはばかりさん、こっちもらいます。姐さん、お酒来ましたけ
どアテのほぉは何がよろしぃです？ 生のアブラゲ？ 恐らく生のアブラゲ
はおまへんわなぁ、それがない場合は？ 天ぷら？ やっぱりどぉしても油
気のもんやなぁ……、結構です。
●この姐さん天ぷら、わたい看板もんの湯豆腐で結構です。あとは見繕いで、
ひとつよろしゅ〜お頼の申します……。姐さんまぁひとついきまひょ、不調
法？ 不調法も口調法もおますかいな、どぉぞどぉぞ。二升も三升も呑んで
くれ言ぅてるわけやおまへんがな、ホンの一杯、二杯です、どぉぞそんなこ
とおっしゃらんと。お近付きのしるしにどぉぞグ〜ッと。
●いやぁ〜、なかなかお見事。何の不調法なことおますかいな、ホンマは呑
めん？ 何をおっしゃる、ままままッ、重ねて重ねてググググ、グッと……、
お見事。駆けつけ三杯っちゅうこと……、まままま、おっしゃんなおっしゃ
んな、お嫌いでもございましょ〜けども、ちゅうやつ。クククク、ク〜ッと、
お見事。なかなかいける口やおまへんかいな姐さん。
●何です？ わたい、結構ご返杯。ちょっと待っとくれやす頂戴します。え
らいすまんこって……、おっきありがとぉ。何です、ちょっと酔ぉてまいり
ました？ あぁなるほど、しんどなってきて眠となった？ さよか、そらい
けまへんわい……。あのぉ〜ちょっと、お枕(まく)を、まくらまくら、横に
なりますんで。え？「二つですか」て、いえひとつで結構です。
●何考えてねん……。姐さんどぉぞ、その床の間を枕にてなことどんなりま
へんので、せっかくの頭(おつむ)が壊れたらいきまへんので、どぉぞお当て
になって。遠慮しはることおません、何の失礼(ひつれぇ)なことおますかい
な。結構ですけっこぉです、横になっててもらわんと。無理して起きてはっ
たらかえって酔いが醒めまへんので、どぉぞ遠慮せんと。
●へ、おっきはばかりさん、こっち湯豆腐もらいま。それから酒もぉ二本ほ
ど持って来てもらえますかい……。うまいこといた、寝てしまいよったがな。
これやないといかんわい（クゥクゥクゥクゥ、プハァ〜ッ）おっきはばかり
さん、酒こっちもらいます。え？「お連れさんお休みでございますか」て、
そぉそぉお休みでございます。どぉです、わぁ〜ッえらい赤い顔しとんなぁ、
えらいイビキやなぁ……、別嬪さんワヤクチャやなぁ。
●しかしまぁ、別嬪さんも案外こんなもんかも分からんなぁ。いやいや心配
はおません、わたしがちゃんと何しますのでへぇ……（クゥクゥクゥクゥ、
プハァ〜ッ）えぇあんばいなった。これでわいもえぇあんばいやし、このま
ま置いといたったらあとで勘定やいぅてえらい目に遭いよるに違いない。こ
れで天罰与えてやったことになる、ほなボチボチ姐さん、失礼しますのでね、
またお会いしましょ〜ね……
●おっきありがとぉ◆あの、もぉお帰りだすか、お連れさんわ？●俺ちょっ
と用足し行くとこがあるんで、お連れさん「ちょっとしんどいさかい」いぅ
て横になってまんねん。なんですわい、起きたら汁のもんかなんか何したっ
とくなはれ。お勘定は上のお連れに財布預けてまんので、ひとつ勘定は上の
ほぉで。
●何でんねんこれ？ 今から持って上がろと思てた卵の巻焼き？ ほなそれ
土産にしまっさかい包んでもらえまっか、えらいすまんこって……、へっ、
おっきありがとぉ。ほな勘定は二階のほぉで、さいならごめん……
■お清どん、二階のお客さんまだ寝たはんのかいな？ ボチボチお客さん混
んでくんねで、ちょっと様子見といで◆お客さん、お休みでございますかい
なぁ。あのぉ〜、もぉボチボチ日が暮れてまいりましたんで、お風邪召しまっ
せ。よろしおますかいなぁ……、お客さん▼へ？ えらいすんまへん。あのぉ
今何どきどす？
◆どぉぞお水を▼えらいすまんこっとす……、おおきありがとぉ今何どきだ
す？ へぇ、そない長いこと寝てましたんどすか、えらいすまんこっとす。
ほなボチボチ……、あのぉ〜、連れの姿が見えまへんねけど◆へぇ、お連れ
さん、何じゃ用足しがあるちゅうて、先帰るちゅうて言ぅたはりました。え
らいすまんこっとすけど、これお頼の申します、よろしゅ〜に。
▼へぇ、これ何どす？◆お勘定書きどす▼え？ お勘定……、わたいが◆あ
んさんにお財布預けてあるさかい、あんさんのほぉからもろてくれと▼え、
え、えぇ〜〜ッ、わたしがお勘定……
彼女は二度目の不意を突かれるといぅ経験をしましたのです。本当ですと
いぅと、木の葉か何かをお札に変えて持っているのでございましょ〜が、と
にかく寝てるとこ起こされたんでございますから、そんな準備も何もござい
ません。
「あらぁ〜〜〜〜ッ」といぅ二度目の驚きに、さすがのことに何ぼプロで
はありましても、取り乱したんでございますねぇ。耳がピ〜ンと立った、口
がシュ〜ッと伸びた、太ぉい尾がダラァ〜ッと出たんで、おなごしがビック
リしたのせんの。階段をばゴロゴロごろごろ、ゴロゴロごろごろ……
◆まぁ番頭はん落ち着きなはれ■お前が落ち着かんかい、どないしたっちゅ
うねん？◆二階、耳ピ〜ン、口シュ〜ッ、シッポダラァ〜ッ■何言ぅてんね
ん、しっかりしゃべれ。え？ 二階の座敷で狐が昼寝してる？ 何を言ぅて
んねんどんならんで、アホか、そんなバカなことが……、寝言は寝てる時に
言ぅたらでやホンマにもぉ。ちょっと喜助どん上がってきてんか。
★さよか、ほな見てきます……。そんなアホなことないやろねぇ（トントン
トン）……（トントンとんとん）番頭はん行ってきました■やっぱりそんな
ことないやろ？★そんなことおまへん、お清どん無茶言ぅたらどんならん、
えぇ加減なこと言ぃなや。狐が二階の座敷で昼寝してるて、昼寝なんかして
へんで、じっと座って考え込んでんねで。
■そやろ、誰も昼寝してへんがな。じっと考え事……、えぇ〜ッ。ちょっと
待て、狐、おんのんかいな。お前何ともないか★あぁ、あなるほど、あぁ
あぁ、つまりその昼寝してるとか、してないとかと言ぅことよりも、狐が座
敷にいるといぅことに問題がありますねぇ。
■何を言ぅとんねん。ハハぁ〜ッ、狐の夫婦(みょ〜と)やな。先に帰ったん
亭主の狐や、先に帰っといてまたあとで木の葉で札こしらえて「釣りは要り
まへんで」てなこと言ぅて持ってこぉと思とんねん。よぉ〜し、正体が分かっ
たら何の恐れることあるかい。滅多に食い逃げさせへん。
「おい、喜助に源助に藤助も、みな手ぇ貸してんか」と、みなが手んでに
割木を持ちまして座敷へさして上がり込みましたんで。狐のほぉも何とかし
て逃げよぉと思ぉて部屋を出よぉとした時に、ドヤドヤ〜ッと入り込まれた
んで、逃げ場失いよって隅のほぉへ。
今まさに生け捕りに。いぅとこ、さすがプロの狐でございますねぇ、みな
の頭の上をば ポ〜〜〜ン！
■おい、逃げよった！ 障子踏み破って逃げよったぞ〜ッ★こ、これ、何を
大騒ぎしてなはる？■旦さん、お帰りやす★「お帰りやす」やあれへんがな、
みな大勢で何じゃいなこれ、割木持ってどぉしたっちゅうんじゃ■実、食い
逃げだんねん★何を言ぅねん、これ。何ぼ先さんに非があるとしたかて、み
なが向こぉ鉢巻で大勢の人間がワァワァいぅことがありますか。
■それがただの食い逃げやおまへんねん★はぁ、はぁ、ほぉ……、お狐さん
がご夫婦で。ありがたいこっちゃないかいな。何かいな、ご馳走してお帰し
申したんか？ 皆で割木持って追いかけたおした？ 何ちゅうことをしなさ
る番頭どん。ほかの者は仕方がないとしてお前さん、ここへ奉公して何年に
なんなさる。うちゃどなたのお陰でこぉして繁盛さしてもぉてると思ていな
さる。
★高津さんや高倉さんへお参りしたお方が、帰り道にちょっと一服しょ〜か、
寄ってみよかっちゅうんで、うちにお寄りなさる。そのお陰でこぉして繁盛
さしてもろて、ご商売さしてもろてるこっちゃないか、どんならんで。その
お狐さんちゅうたら、高倉さんのお使わしめじゃないかいな。ありがとぉお
帰しせんならんとこ、棒持って追いかけたおした……
★何ちゅうこっちゃ。わたしに謝ってもぉても仕方ががない、今日はもぉ店
早いことしもぉて、油揚げでも持って謝りに行かないかん。早いことみな支
度しなはれ。
大騒ぎでございます。
●ハハハぁ〜ッ、オモロかったなぁ、世の中人間ぎょ〜さんおるとはいえど
やで、狐に化かされた人間は数多(あまた)あるやろけど、狐化かした人間は
恐らく西日本で、わたしひとりでしょ。オモロなってきた、えぇあんばいなっ
てきた。そや、このことちょっと竹に言ぅといたらないかんわい。
●竹ぇ、いてるか？■おぉ、えらい勢いえぇやないか、どぉしてん？●実は
ねぇ、今日はちょっとお前にオモロイ話聞かしたろ思て、喜ばしたろ思て。
とにかくこれ土産や、取っといて■何やこれ？ 卵の巻焼きか、えらい張り
込んだなぁ。おぉきありがとぉ●実はこないだの狐の一件やけどなぁ……
■あれ言ぅてないな。わいあれからあれ思い出すたんびにゾッとする●さぁ
それや。それの仇討ちしてきたった。湯豆腐屋へ連れ込んで、一杯呑まして
寝さしといて、先に勘定も払わんと出て来たってん。いま時分、袋叩きに遭ぉ
とるに違いないで。
■……、な、何ちゅうことするねんお前●何や？ 顔色変えて■当たり前や
ないかいな、ウソでも人間騙そといぅ狐やで、お前がそんなことしてみぃ、
仕返しに今度何層倍返ってくるや分からんぞ。ドツボへはめられるか、八つ
裂きに遭うぞ。第一(だいち)高倉さんのお使わしめやで、高倉さんが「よぉ
うちの若いもん、えらい目に遭わしてくれたなぁ」ちゅうてどんな目に遭わ
されるや分からん。
●そなアホなこと言ぅな。こらお前のため思て……■わいの名前出してなや、
わい知らんこっちゃで、わいは知らんで……。高倉さん、わいは知りまへん
で、この男がやったんでっせ●待てぇ、待てぇ、そんなこと言ぅなお前。え
らいことになってきたがな、どないしたらえぇやろ？
■どないもこないもあれへんがな。罰(ばち)当てられる前に、こっちから何
なとみやげ持って謝りに行とき、明日の朝にでもすぐに。裏手へ行ったら祠
(ほこら)か何かがあるわ、その辺にいたはるに違いない、謝っとき謝っとき
●そぉか、ほなまぁそんなことにでもしょ〜か。
酔いも何もどっか行てしまいましたんでね。ガラリ夜が明けまして、明く
る日になりますといぅと、近所でボタモチあつらえましてね。
●あ〜ぁ、しょ〜もない洒落はせんもんやなぁ、どんならんでホンマにもぉ。
きのうはこの辺りやったがなぁ。この辺りの草むらで確か寝とったんやが、
さすが今日は寝とらんなぁ、どんならんなぁ……。何じゃ裏手のほぉに祠が
あるっちゅうとったが……、崖があって……、おっ、何か動いたなぁ……、
熊笹の間から仔狐や、わぁ〜可愛ぃもんやなぁ。
●こんちゃ〜、こんちゃ〜、ボンボンですか？ お嬢ちゃん？ あっ逃げぇ
でも、逃げはらいでもよろしぃ。ちょっとお尋んねしますけどねぇ、きのう
ここで、人間にえらい目ぇに遭わされたっちゅう狐さん、ひょっとあんさん
のお母はんと違いますかいなぁ？ え？ フンフンいぅてうなずいとぉおる、
オモロイなぁ。
●いや、逃げはらいでよろしぃ、何も悪さしに来たんちゃいますねん。まこ
とに反省しとりまんのですへぇ。しょ〜もないこといたしましてへぇ、お母
はんにどぉぞ、きのうの人間が謝りに来たよって、もぉ罰やみな当てんよぉ
に、あんさんのほぉからも、よろしゅ〜言ぅとくなはれ。
●あのこれ、ちょっとみやげだんねん放らしてもらいまっせ。いよっとしょっ
と、よろしゅ〜ホンマに謝ってた言ぅといとくなはれやお母はんに……。わ、
咥えて穴ん中入りよんねんなぁ、よろしゅ〜頼んまっせぇ〜……
▼「表へ出たいかん」ちゅうてるやないかいな！ どんならんで。この頃は
なぁ、もぉタチの悪い人間がぎょ〜さんそこらウロウロしてんねんさかい。
また、お母はんみたいにえらい目に遭わされ……、あ、あ痛、たたた……、
どこウロウロしてんねん▽お母ぁちゃん、あんねぇ、きのうねぇ、お母ぁちゃ
ん騙した人間ちゅうのがね、今来よってね……
▼また来よったんか！ ひつこいやっちゃなぁ……。表出たらあかんで▽い
や、ほんでね、あのね「まことに悪いことしました」言ぅてね「どぉぞよろ
しゅ〜謝っといとくなはれ」言ぅてね、ほんでね、みやげやいぅて。ちょっ
と開けさしてもぉてもえぇやろか……、わッ、お母ぁちゃ〜ん、おいしそぉ
なボタモチや、食べてもえぇやろ？
【さげ】
▼これッ、食べたらいかん……、馬の糞かも知れん。
【プロパティ】
高倉稲荷神社＝「高津の富」で有名な高津神社の境内、本殿の右隣りに並
んで祀られている。
さっぱ＝さっぱり：いっこうにダメなさま。
わや＝駄目。失敗。無謀。無茶苦茶。枉惑(わ[お]うわく)の約訛という。
「さっぱりわや」散々な目にあった意味。
ネキ＝そば。かたわら。きわ。根際？
湯豆腐屋＝高津神社の境内に「料亭・藤壺」という湯豆腐屋があった。
じき＝じきに：すぐに。直ちに。即座に。
おっきはばかりさん＝おおきに＋はばかりさん、たいへん、ご苦労さま。
アテ＝酒の肴。
口調法＝口先の上手なこと。もの言いの巧みなこと。また、そのさま。
しんど＝辛労(しんろう)が変化したもの。しんどい：シンドにイを付けて
形容詞化したもの。単純に訳せば「苦しい・疲れた・くたびれた」な
どではあるが、さらにもっとなまぬるい複雑感を含むと同時に軽い、
軽妙なくたびれ方をあらわした語で、標準語では到底訳し切れない。
「あぁしんど」「あの人の話はしんどい」「そんなしんどいこと止め
とき」「お前のすること、しんどうて見てられへん」
ワヤクチャ＝無茶苦茶でクタクタである。クチャはしわくちゃ・いっしょ
くちゃ・もみくちゃ、などのクチャでクタの転。クタクタになったと
いう意の接尾語。
〜たおす＝〜しとおす。〜しつづける。
お使わしめ＝神の使いといわれるもの。八幡神の鳩、山王社の猿、稲荷の
狐の類。使い姫。つかい。
言ぅてないな＝言うてな＋いな。言ってくれるなの強調。
ドツボ＝肥溜め：肥料にするために糞尿を醗酵させる。
音源：桂枝雀 1984/04/18 枝雀寄席(ABC)
【作成メモ】
●参 照 演 者：main＝桂枝雀 sub＝＊
●main高座記録日：1984/04/18 ●番 組 名：枝雀寄席(ABC)
●ファイル公開日：1997/03/23 ●江戸落語相当：王子の狐
●更 新 日：2016/12/04 ●リクエスト数：
●注 意 事 項：内容を削除、追加、改訂している部分があります。
記録日のmain演者によるさげを採用しました。
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