【主な登場人物】
正(まさ)やん 米(よね)やん 大きな農家の旦那(次郎兵衛)
茶店の婆さん 村の人たち 農家の飼い牛ほか
【事の成り行き】
昔から薬九層倍(くすりくそばい)とか言いますけど、実際、薬の卸値とい
うのは常識では考えられないほど安いものです。ことにドリンク剤とか、ロー
ヤルゼリー、クロレラなんていう薬まがいの健康補助食品類は、卸値を知る
と存在そのものが許せなくなります。
とはいえ、信じるものは救われる。ありがたく頂戴する人には立派な、そ
の値段に相応しいものなのでしょうから、他人がとやかく言うものでもない
のでしょう。また、どんな中身の薬でも、信じて飲む人には効くというから
不思議です。
今回の外題「牛の丸薬」、完全にに人の道を踏み外した、違法行為そのも
のですが、見ようによってはヒトの本質を突いたものかもしれません。本当
のことを知らない不幸があり、知る不幸もあり、知らない幸せがあり、知る
幸せもある、だから、知っていても知らなくても幸せな人は幸せだし、幸せ
でない人は幸せでない。ってなとこでしょうか(1997/02/16)。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
え〜、まことにありがたいこってございます。福井さんのお話、まことに
ありがたいものでございまして、面白ぉございました、お人柄でございます
ねぇ。
まぁなんでございます、この天気、いわゆる気候でございますね、気候・
時候といぅものがまことにこの日本といぅ所(ところぉ)は四季の別ございま
してね、冬が来るとまた春が来る、暖かいなぁと思てると暑い暑い夏が来る、
また暑いなぁ思てるとちゃんと秋になってくれまして、また冬になる、といぅ
よぉなね。
四季折々の楽しさといぅか、草花などもみな違ごてまいりますし、ありが
たいこってございますねぇ。わたしら生まれついてズッと日本におりますの
で、そんなこと何とも思いませんでしたが、ちょっとよそへ、その日本を離
れさしてもらうとよく分かるんやそぉでございますねぇ。
ありがたいことなのでございますが、春先のお噂を聴ぃていただくのでご
ざいます。
●正やんいてるかいな？ 正やん、留守か。いてへんのかいな？■おぉ、米
やんかいな、大っきぃ声出しな。こっち入っといでこっち。家ん中通って来
てくれたらえぇ、縁側にいてんねん。こっち入っといで●何じゃい、こんな
とこにいてたんか。どぉしたんや、縁側に座ってんのん？■縁側に座ってん
ねんがな。
●何してんねん、何してんえん。なんしてんえん？■「なんしてんえん」て、
ハキハキもの言え「なにしてんねん」と言え●なんしてんえん？■やかまし
わい……。いぃやいな、だいぶ温くなっやないか●温ぬくなった、ありがた
いこっちゃないか。もぉぶり返すことないと思うねん■さぁ、わいもそぉ思
てな、ここまでくりゃもぉこっちのもんや思て、コタツが要らんよぉになっ
た思て、掃除してなおしといたらえぇわい思てな、夕(ゆん)べ庭へ放り出し
といたらあの雨や。
●雨や、降ったやないか、土砂降りやないか■えらい降った●えらい降った
やないか、わいねぇ、天でねぇ、誰ぞバケツひっくり返しよったんか知らん
思てね■そぉそぉ、おかしぃ言ぃよぉやけど、まぁえらい降った。今朝起き
てみたら、見てみぃなこのコタツや……、ジュクジュクなってしもたぁるね
ん。
●でぇゃ〜、大和ゴタツ、ジュクジュクになってしもたぁる■せや、ジュク
ジュクになってな、指にゅ〜ッと突っ込んだら、にゅにゅ〜ッとニエ込みよ
るで●ははははッ、そらせやないか。大和ゴタツやろ、土でこしらえたぁる、
土固めたもんやないか。にゅにゅ〜ッって当り前やないか。
■当り前やねんけれどもな、こぉして指突っ込んでは土丸めてたらな、丸ぁ
るい丸子(がんじ)がでけんねん。薬みたいに見えたぁるやないか。えらいも
んでもぉ五、六十も出来てん●でぇゃ〜、でぇゃ〜、でぇゃ〜■やかましぃ
なぁ、お前わ●わ、わ、わぁ〜。五、六十も。ぎょ〜さん丸子こしらえて何
かいな、これ薬みたいに見えたぁるけど、何ぞに効く薬か？ 何ぞに効くん
か？
■無茶言ぅたらどんならんなぁ、いまも言ぅたやないか、土丸めたぁるだけ
のこっちゃないか、何に効くかい、効ぃたら不思議やないか●「効ぃたら不
思議」て、何にも効かんもん、こんな丸いもん、こんなぎょ〜さんこしらえ
て？■さぁさぁ、せやさかいそれをやで「何ぞに効かしてみよかいな」と思
て、いま頭ひねってるてなこっちゃ。あした体、空いてるか？
●あしたも、あさっても、ここんとこずっと暇や■そらちょ〜ど幸い、一日、
体、貸して欲しぃ。せやなぁ、まぁ日当二円ほど出そか、昼飯付けるてなこ
とでどや？●結構、日当二円ももらえたら、あしただけやなしにここ十年ほ
ど……■アホなこと言ぃないな、人雇いやあれへんがな。そないぎょ〜さん
はないけれども、あした一日で結構。朝ちょっと早い目に出かけたいねんけ
ど、起き抜けに来るてなことできるか？
●できる、できる、おら朝早い言ぅたら、何ぼ早よてもかめへん。早よ来る
で■早よ、来て欲しぃねん●早よ来る、早よ来るよってね……、正やんお早
よぉさん■あッ、早かったなぁ……。お前のこちゃさかい「早よ来る」言ぅ
たら早いとは思たが、こない早いとは思わなんだなぁ「お早よぉさん」て、
すぐ来たやないか。
●すぐ来たんや、いかんか？■別にいかんことはないねん。こっちも支度は
できたぁんねん。そこに風呂敷包みこしらえたぁるやろ、それ首ぃくくりつ
けて付いて来てもらいたいねん●なるほど、風呂敷包みこれやな。イヨッと
しょ……、ほかには？■いや、それだけでぇねん。したらボチボチ出かけよ
か。
二人の男がポイッと表に出ましたんです。まだ真っ〜暗でございます。足
をば北へ北へ取りまして、城の馬場をはすかいに突っ切りまして、片町あた
りから野辺へ出てまいりました頃、東の空がよぉやっとじぃ〜ッと白いでま
いります。朝露の降りました田舎の道でございます、二人の男がブラ〜ブラ
歩いておりますので。
●わぁ〜、わぁ〜ッ。おい、どや清やん正やん、見てみぃこの東の空。あり
がたいこっちゃないかいな■お前いま「清やん」言ぅたんと違うか？●いぃ
やいな、きのう清やんとちょっと会ぉたもんやさかい、つい清やん言ぅたん
や。それぐらいのこと気にすな■気にするわい。どやっちゅうねん？
●「どや」やないがな。東の空見てみぃな。ドンドンどんどん明けていくに
従ごぉてやで、色がそぉ、わぁわぁ〜ッとやで、こんなん朝早よぉに起きん
ことには見よと思ても見られへんで。ありがたいこっちゃないか、なぁ清や
ん■まだ「清やん」言ぅてる。正や●正や、正やん。ホンマに、どぉ思う？
■わしゃちょっと考え事しながら歩いてんのでな、お前の気持ちは分からん
ことないけどな、ちょっと黙ってて●あぁなぁるほど、わいあんまりやかま
しぃ言わんほぉがえぇねんねぇ……。わぁ、わぁ、わぁ〜ッ見てみぃな、あっ
ちゃこっちゃで、もぉあないしてお百姓さん出てお仕事してはる。早いもん
やねぇ。
●「朝は朝星いただいて、夜は夜星をいただいて、昼は梅干いただいて」て
なことよぉ言ぅたもんやけど、ホンマやで見てみぃな、あっちゃこっちゃの
家からもぉ、モ〜モ〜と煙上がったぁるやないか。朝のひと仕事、朝飯前の
ひと仕事終えて「ボチボチ飯にしょ〜か」てなこと言ぅたはんねんで。ねぇ
正やん、ねぇ正やん。
■あなのなぁ、わし考え事しながら歩いてるのでな「ちょっと黙っててもら
いたい」っちゅうてんねんで●なぁるほど、わいはあんまりもの言わんほぉ
がえぇっちゅうことやねぇ。分かったわかった……。わ、わ、わ、わぁ〜ッ、
どや、柳がもぉ芽ぇ吹き出してるやないか。早いもんやないか。やっぱりな
んやかんや言ぅても街中よりこっちのほぉが早いと見えるわい。
●家出るときちょっと肌寒いかなぁ思て、もぉ一枚着よかいなぁ思たけど、
ここまで歩いて来たらジト〜ッと汗が出てきたてなあんばいや。やっぱり、
あれ着てこなんでよかったわい。何やかんや言ぅても、もぉ春はそこまでお
越しになっていますよぉでございますねぇ、正やん。
■ちょっと考え事しながら歩いてんのでな「ちょっと黙っててもらいたい」
言ぅてるやろ●あぁ〜なるほど、わいは黙ってたほぉがえぇっちゅうこっちゃ
ねぇ……、で正やん、今日はどこ行くんやろねぇ？■うるさいなぁお前は、
どこ行くや分からん●「分からん」て、頼んないこと言ぅてんなぁ、日当二
円、大丈夫やろねぇ？ 昼飯は美味いもん食わしてくれんねやろねぇ？
■やかまし言わんと黙って付いといでっちゅうねん●「黙って付いといで」っ
て……、わ、わ、わ、わ、わ、わぁ〜ッ■やかましぃ、何やねん？●向こぉ
村見えてきたやないか。正やん、あらどこの村や？■さぁ、わしも初めて行
くとこやさかい、どこや分からんけれどもな、まぁ、北河内には違いなかろ。
どやひとつ、きょうはあそこへでも行てみよか。
●「あそこへでも行てみよか」て、大丈夫か？■大丈夫や。ちょ〜どえぇ、
見てみぃあそこの村の入り口にさして茶店が出たぁる、お婆んウロウロして
るやないか。あそこでお婆ん捉まえて、ちょっと何じゃかんじゃしゃべるけ
ど、お前横手からゴジャゴジャ言ぅてもぉたら困るで。
●分かったわかった心配しぃな、わいどっちかいぅともの言わずや■嘘つけ、
どつくでしまいにホンマにもぉ、最前からずっとしゃべりどおしにしゃべっ
てんねやないか●はははぁ〜ッ、分っかりますか？■分からいでかい●おら
実ホンマのところ、口ん中へ虫が湧く性分や、黙ってたら。
■ケッタイな性分やなぁ。いっぺん虫出してみぃ●出ぇへんけれどもや、虫
湧くねん■まぁえぇわい茶店や、駄菓子か何かあるに違いない。それをどん
どん口放り込んどけ、しゃべることはないやろ●なるほど、菓子ン食ぅても
えぇのん？
■さぁ、ドンドンどんどん菓子ン口へ放り込んどけ、しゃべりとぉてもしゃ
べられへんがな●何ぼほど食ぅたらえぇ？■何ぼでもえぇ、好いたほど食ぅ
たらえぇねやないか。横手からゴジャゴジャ言ぅてもぉたら困る、頼むで。
■お婆ん、じゃまするで▲はいはい、お越しなされ■お婆ん、達者かい▲は
いはい、何とかまぁまぁお陰さんでやらしてもろてますよぉなことでごじゃ
いますわいな■あの、親っさんの姿見えんよぉやが、お爺さん達者かえ？
▲おや何じゃいな、年取ったら目角(めかど)悪なりまして失礼(ひつれぇ)い
たしまして、うちのお爺知っててかい？■「知っててかい」て、お爺さんと
は顔なじみで……▲あぁそぉかいな、ありがとさんで……、悪いことにお爺
さん、死にまして五年になりますのじゃ。
■えっ、お爺やんもぉ五年前に死んでもた。何じゃいな、知らなんだがな、
そぉか、えぇ親っさんやったこの親っさん。元気そぉな、こぉ恰幅のある、
相撲の一番でも取ろかといぅよぉな顔色のえぇなぁ……▲いやいや、うちの
爺さん痩せて細い人じゃった……
■そぉそぉ、ここのお爺さん違う。隣り村の茶店の親爺と間違ごぉてた。こ
この親っさん痩せて細ぉい人やったんや、ポキッと折れそぉな人やった。こ
このお爺やんねぇ、達者な時分には「日が暮れたよって提灯貸してんか、雨
が降るいぅで傘貸してんか」と、よぉ世話になったもんや。
▲そぉかいな、そんなことちょっとも知りませんのじゃわい。まぁ、傘や提
灯ぐらいなればな、お爺さんおりませぇでも貸しますで、またどぉぞ寄って
もらいたいで■そぉさしてもらうわい。また仕事のことでこっち来んならん
ことになったんでな。
■ところで、お婆ん、向こぉに見える大きなうち、そら、蔵があって、白壁
の塀デェ〜ッと引き回して、門の所に何ちゅう木ぃかいなぁ、大ぉきな木の
ある、あの大きなうち、確かニョニュニョはんのうちやったなぁ▲あの、何
じゃっちぃなさる？
■お婆んよぉ聞ぃてぇな、向こぉの大きな蔵のある、白壁デェ〜ッと引き回
して、門のとこ何ちゅう木ぃや大ぉきな木のある、あの大ぉきなおうち、あ
ら確かニョニョニュニョはんのうちやったねぇ、ちゅうねん▲何じゃっちぃ
なさる、何じゃて？ 次郎兵衛さんのうちじゃ言ぃなさるか？
■そぉそぉそぉ「次郎兵衛さんのうちやな」ちゅうて、なんべんも言ぅてる
のに聞こえへんかったんか？ ちょっと耳遠なったんと違うか？▲はいはい、
もぉ目角も悪なりゃ耳も遠なりますで……、あんさん何かいな、次郎兵衛旦
那ご存じかい？■「ご存じかい」て、えぇお得意さんで……、向こぉのお家
さん達者かい？
▲ホンに何じゃなぁ、でぇ〜ぶ前にここの村へもよぉ来てなさったが、この
頃来てなさらんよぉに思いますぞ。お家さん亡くなりになりまして、もぉ十
年になりますわい■十年から来てへんねん。早いもんやなぁ「光陰矢の如し」
てなこと言ぅけど、ホンマやないか。で何かいな、次郎兵衛旦那それからお
一人で？
▲はいはい、もぉ後添えどぉのこぉのちゅうことも、その当座あったそぉな
けれども「もぉこの歳じゃで茶飲み友達でもありゃせんわい」ちゅうて、そ
れからずっとお一人で、三年前やったかご長男にお跡お譲りあそばしてな、
いま楽隠居のご身分で、この夏には二人目の孫さんの顔が見られるちゅうて、
喜んでいなさるわ。いま孫さんのお守りで幸せなお方じゃないかいな。
▲中手がまた、去年じゃったかいなぁ、隣村へご養子に行きなさった。この
おうちがまた村一番の分限者(ぶげんしゃ)でな、ありがたいこっちゃないか
いな。末の坊(ぼん)が春から町のほぉへお勤めに出なさるそぉじゃぞ。それ
ぞれがご繁盛であんな結構なうち、ありゃせんねで。
■え？ あぁ、三年前に……、あぁ、下のボン……、あぁ、末のボン……、
そぉかいな、けっこぉなこっちゃないかいな。わいも何じゃかんじゃいぅて
それぐらいのことは聞かしてもぉてんねんけれども、噂話で。えらいすまな
んだなぁ、おっき、ありがとぉ。お婆ん、ちょっと茶代払ろとこか。
▲茶も汲みゃせんのに、こんなに沢山■かめへんかめへん、また帰りに寄ら
してもらうで▲そぉかいな、そぉかいな、ほいで……■何や？▲あのぉ、何
じゃわい。帰りでもかまやせんけど、お連れのお方がえろぉお菓子食べてな
さったよぉな……
■すまん、うっかりしてんねん……。おい、何ぼほど食たんや？●へ？■何
ぼほど食ぅたんや菓子ン？●何ぼほど？ 分からん……、ここにあるもんみ
な食てしもたん……■みな？ お婆ん、ここにあった菓子みな食たちゅうて
るけど、数、分かるかえ？▲何かえ、それみな食べなさったかえ？ お菓子
の好きなお方じゃなぁ。数は分からんことはありゃせんわい、夕べ卸屋さん
が卸していたとこ、五十じゃ。
■五十？ よぉこんなもん五十も食たなぁお前、こんなもん半分糠やで、ど
んならんでホンマにもぉ……。お婆ん、ここ置いとくで▲これはこれはご均
等(きんと)さんでありがとさんで、どぉぞ帰りにまた……
■あぁ寄してもらうわ、さぁ出といで●みぃ〜、ひひぃ〜、へへへぇ〜■何
を言ぅてんねん？ 何が「へへへぇ〜」やねん？●お前嘘つきやわい、おら
お前あんな大嘘つきとは思わなんだ■何で？●「何で」て、せやないか「こ
の村初めて来る村や、北河内といぅことには間違いないやろ」言ぅてたけど
やで、何の初めてなことあれへんがな、茶店の親っさんのことやら何とか旦
那といぅ人のことやとか、何でもかんでもよぉ知ってんねん。
■何を言ぅてんねん、お前らに分かれへん。ここ(頭)の働きが違うわい。そ
んなことよりこれからが仕事やで、えぇか……、おぉ、どぉやら門の前立っ
て空見上げてる人が次郎兵衛旦那らしぃ。あの人捉まえて、また何じゃかん
じゃしゃべるけど、口挟んでもろたら困るで●大丈夫、何ぼわいかてね、あ
の菓子ン食いすぎてね、腹、ずつのぉなってんので、もの言ぅのん嫌んなっ
てんねん。
■結構けっこぉ、そら結構じゃ。あんなもん半分糠やないか、腹ふくれたぁ
るに違いないどんならんで。でな、この煙草入れとキセル渡しとこ。キセル
はホンマもんやけどな、煙草入れのカマスの中には煙草入ったない、コショ
ウの粉ぉ入ったぁんねん。でな、ゴジャゴジャ話してるよって、合図するよっ
て裏行け。
■裏に牛小屋がある、たいてぇ牛小屋がどこにあるか分かるわい、そこに牛
おる。そこで藁クズか何か出してやったらヌ〜ッと首伸ばしてきよる。十分
手元寄せといて、そのキセルの中へコショウの粉ぉを詰めて、鼻の穴へフ〜ッ
と吹っ込んでそぉ〜ッとこっち帰って来い。それだけのことしたら、お前そ
れでぇねん。
●ふぅ〜〜ん……、面白いことするんですねぇ、何で？■何でもかめへんが
な、お前それだけのことしたら、あとはわいの働きでお前の日当二円になる
ねん。えぇか、ゴジャゴジャ言ぅてもろたら困るで、頼むで。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
■これはこれは、次郎兵衛旦那やございませんか、まことに長いことご無沙
汰いたしまして、まことに相すまんこってございます。お家さんがお亡くな
りになりましてもぉ十年にもなりますそぉで、早いもんでございますなぁ。
あの時もこっちの耳に入りましたんが、お葬式のあとでござりまして「えら
いこっちゃなぁ、もぉちょっと早よ聞かしてもろたら、お手ったいに上がら
してもろたのになぁ」申しましたんですけど、後の祭りでございましてへぇ。
■それから何でございます、もぉ旦さんずっとお一人でございまして、お一
人身で三年前でございましたか、ご長男にお跡をお譲りあそばして、いま楽
隠居のご身分やそぉで、まことに結構なこってございます。この夏にはまた
二人目の孫さんの顔が見られるなんて、孫さんのお守りでまことにに幸せな
日々やそぉで、まことに結構なこってございます。
■中手が去年でござりましたか、隣り村へご養子に行かはりまして、そちら
がまた、村一番の分限者やそぉでございまして、幸せなこってございます。
末のボンがこの春からでございますか、町のほぉへさしてお勤めに出られる
そぉで、それぞれがご繁盛でまことに結構なこって。噂は常々聞かしていた
だきまして、喜ばしてもろとりますよぉなこって。
★はいはい、はい……。ちょっと待っとくなされ。ちょっと待っとくなされ。
うちのことに、えろぉお詳しぃお方じゃが、歳取ると目角悪なってどもなら
ん、失礼しとります、お見それしとります。あんさん、どちらのお方じゃっ
たいな？
■お見忘れでございまっしゃろ、大阪の干鰯(ほしか)屋でございます★ちょっ
と待っとくなされや、大阪の干鰯屋さん……？ 婆さんの達者な時分に大阪
からもずいぶん干鰯屋さん来ていなさったが……、ひょっと間違ごぉたら堪
忍しとくなされや、あんた靱(うつぼ)の寿助はんと違うかえ？■寿助でござ
ります。ご無沙汰をいたしまして★何じゃいな、寿助はんかいな。いやぁ〜、
こらお見それして、失礼いたしました。
★そぉかいな、何じゃ面差しがゴロッと変わったよぉに思うが■もぉ十年に
もなるのでございます。もぉ商いのこってあっちこっち回って、多少の苦労
はいたしております。相が少ぉし変わったかに見られますので……★そぉか、
寿助はんかいな、懐かしぃやないかいな、ありがたいこっちゃなぁ。さぁ、
今日はよぉ来てくれた。上がってお酒でも呑んで遊んで帰ってもらいたい。
■ありがとぉさんでございます。実、また旦さんにご無理を……★何じゃい
な？ 干鰯かいな？ ハハハァ〜、それ堪忍しとくれ、ここんとこちょっと
買い過ぎてなぁ、干鰯は肥しじゃ、肥料じゃ、臭いがするでな、蔵から物置
から干鰯で干鰯で、お家まで臭いが上がってくるちゅうて若いもんにボヤか
れてるてなこっちゃ。今日はもぉ商いのことはともかくとして、まぁ上がっ
てお酒でも呑んでゆっくり帰ってもらいたい。
■ありがとぉさんでござります。ま、まぁ、どぉぞこちらへ、旦さんそちら
へお掛けになりまして、何でござります、せっかく持って来たもんでござり
ます。話だけでも聞ぃていただきます。おい、それこっちかせ……、何でご
ざります旦さん、話だけ聞ぃてもらいますよぉなことに……
■モノが何でございます旦さんこれでございましてへぇ、お値段のほぉが何
でござります（パチパチ……）こんなことなっとりますんで★ん、何じゃっ
ちぃなさる、干鰯はもぉ要りゃせんのじゃけど……、え、何じゃて？ 品も
んがこれで、値段が……、何かい、ホンマにこの値ぇかい。こらちょっと安
過ぎゃせんかい？
■安過ぎるのでございます。いぃえぇ、これにはちょっとわけがござります。
と申しますのがわたくしの友達でございます。あの思惑でぎょ〜さん干鰯を
仕入れよりましたんでございます。ひと儲けしょ〜っちゅう、当てよぉといぅ
やつで。ところが旦さんもご承知の去年の暮れのあのドカ下がりでございま
す、思惑ゴロッと外れてしまいまして、いまも倉敷料だけでも抱えるだけ抱
えてしもたもんで、倉敷料に追われてるてなこって。
■もぉ損得はともかくとしても捌(は)かすだけ捌かしてしまいたいてなこと
で、こぉいぅ嘘みたいな値ぇになっとりますへぇ。このお値段でござります
といぅと、何でございます旦さんのほぉで一応お引取りいただきましてでご
ざいますね、またよそさんへ何していただきましても十分口銭の取れる値ぇ
やないかと思いまして。
■またこちらへその何でございます……、ここまで何さしてもろてもえぇん
でございますけども、こちらでまたご厄介になります手土産代わりと言ぅた
ら何ですけども、ちょっとこぉいぅ小利口なもん持ってまいりましたよぉな
こってございます。チョイ……、そんなこってございますので、チョイ、こ
れで一応旦さんのほぉでお引き受け願いまして、チョイ、えぇ、またよそさ
んへ返してもらいますよぉな、チャイ……
●何言ぅてけつかんねん。人のことしゃべりやしゃべりや言ぅて、何ぬかし
てけつかんねん。あいつのほぉがよっぽどしゃべりやないかい「チョイチョ
イ、チョイチョイ」言ぅて犬でも追うよぉに言ぃやがってホンマに、何ぬか
してけつかるベラベラベラベラ、よぉあれだけのことしゃべれたもんやで……
●初めての家、どこに牛小屋があるや犬小屋があるや便所があるや分かるか
いそんなもん。うしうし、牛いてたやないか、牛小屋あったやないか。わ、
わぁ〜ッ、牛て大きぃもんやなぁ、ネキで見んのん初めてや。うわぁ〜ッ、
よだれ垂らしとぉる、行儀の悪いやっちゃなぁこいつ「藁出してやったら首
伸ばしてくる」ちゅうとったなぁ……。おわぁ〜ッ、出してきよった、出し
てきよった、あいつの言ぅ通りなるだけオモロイねぇ。
●オモロイ顔しとんなぁ……、キセルにこのコショウ詰めて、何でこんなこ
とすんねん？ プッハ〜〜ッ……、ヘェ〜ックシン！ 吸ぅた。げぇ〜、ぐ
えぇ〜、クセといぅもんはしゃ〜ないもんやなぁ、キセルくわえたら吸ぅわ
なぁそら。吹かなあけへんどんならんで。ヘェ〜ックション！ げぇ〜……
●（フッ……）知らぁ〜ん顔しとぉる。図体が大きぃさかい堪(こた)えへん
ねなぁ、もぉ一発やってこましたろ……
いらんことはせぇでもえぇので、二杯もキセルにコショウの粉、牛の鼻の
穴へ。何ぼ大きぃ牛でもたまったもんやない。鼻ずらをば地べたへすり付け
るよぉにして「んモォ〜、んモォ〜ッ」
◆旦さんえらいことでございます……★え、博労(ばくろ)してきたばかりの
牛に急に変が？ えらいこっちゃないか。せがれの留守にもしものことがあっ
たらえらいこっちゃ。寿助はん、ちょっと持っとくれ、話は話として聞くけ
れどもな、ちょっと牛に急に変が……■何でござります？ 牛に急に変がま
いりましたんでございますか？ わたくしちょっと心当たることございます
ので、見してもろたらいかんもんで？
★あぁ、見たっとくれ、こっちじゃ、こっちじゃ……、まぁ寿助はん何じゃ
いな、最前まで何ともなかった牛に急に……、えらいこっちゃないかいな、
この苦しみよぉは。鼻ずら地べたへさして、おぉかわいそぉになぁ、人間な
らどこが痛いかしこが痛いちゅうじゃろが……
■旦さん、やっぱりこれでございます「心当たることがある」申しましたの
はやっぱりこれでございます。どぉです、えぇ薬があるんでございますけど、
飲ましてやったらいかんもんだっしゃろか？★薬があんのなら、ちょっとも
早よぉ飲ましてやってもらいたい■心得ましてございます。ちょっとどなた
か、手桶に一杯水持って来とくれやす。
■旦さん、やっぱりこれでございます。いぃえぇ、実はこないだうちから和
泉のほぉでこれがございまして、奇病でございます。もぉいままで何にもな
かった牛に急に変がまいりまして、ものの半時も苦しみました上にドタッと
死んでしまうといぅ、いわば奇病でござります。
■どこからこぉいぅ何がまいりましたのか、それが南河内から中河内ぐらい
まで来ましたっちゅうこと、ちょっと耳にしましたんで「ははぁ〜ん、ひょっ
としたらこっちにも」と思とりましたが、やっぱりこれでございます。間違
いございません。この薬でございます。ひと粒でえぇんでございます。
■これを飲ましましたら、もぉこっちのもんでございまして。へぇ、ちょっ
と牛押さえといとくれやっしゃ、おっと、暴れますよって押さえといとくな
はれや、この薬をばね、ひと粒で十分でございますよ。こぉいぅ風に飲まし
まして……
ゴジャゴジャごじゃごじゃ言ぃながら、薬飲ますよぉな顔して鼻の穴へさ
して水をザブ〜、ざぶザブ〜ッとね。コショウがすっかり流れてしまいます
といぅと、あとはヒンヤリとしてかえって気持ちのえぇぐらいのもんでござ
いますから、牛はそれへ長ごぉなって「んモォ〜〜ッ」
★ん、ん、何じゃいこら！ よぉ効く薬じゃないかいな。どこで売ってます、
こんな薬？■さぁ、それがあそこにあるここにあるといぅ薬やございません
ので、わけを言わな分からんのでございますけれども、わたくしはこぉして
親代々の干鰯屋でございますけど、弟がちょっと学問がでけましたんで学校
やりまして、ドイツのほぉ留学させましてござりますへぇ。
■向こぉで牛馬(うしうま)のことにつきましていろいろと研究をいたしまし
て、牛馬(ぎゅ〜ば)学と申しましたか畜産学と申しましたか、いろいろ牛馬
のことについて研究いたしまして、もぉ牛馬の病気なら万病に効くといぅよぉ
な薬を発明しよったんやそぉでございます。これが向こぉの学会でえらい評
判でございまして、日本の製薬会社がこれ聞き付けまして、特許とか権利と
かいぅものを買い取ったんやそぉでございますへぇ。
■へで、今年の秋口、暮からまぁ来年の正月あたりから売り出すといぅこと
になってるんやそぉでございますけれども「兄さん、あんたお百姓相手のお
仕事やさかいに、どこでどんな役に立つや分からん」言ぅて、内緒でこれ送っ
てきてくれましたよぉなこってござりまして、あっちにあるこっちにあると
いぅ薬やございませんので。
★あんたの弟はんが、えらいこっちゃねぇ。そら高い薬じゃろ？■さぁ、そ
れでございます。もぉ少々改良の余地もあり、売り出します時にひと粒一円
にするか、また一円十銭取らんことには元が取れんか、といぅよぉなところ
やそぉでございます★一円。高い薬じゃが、こない効ぃたら、またこんな安
い薬もありゃせんじゃないかい。どぉじゃ、それ十(と)粒ほどわたしに分け
てもらうっちゅうわけにいきゃせんかい？
■それがなりません。と申しますのが、そぉいぅよぉなことで、難しぃ話は
知りません、特許とか権利とかいぅもんがござりまして、これが発売前に町
に流れたてなことになりますといぅと、弟がえらい迷惑を受けるんやそぉで
ございまして、これは売ることがでけんのでございます。
★そぉじゃろが、まぁ、ここだけの、わたしだけの内緒にしといたら、世間
さまに分かりゃせんじゃないかい。十粒だけ、十粒だけ……。こないよぉ効ぃ
たらありがたいこっちゃないかい。その代わり干鰯のほぉまた何じゃで、さっ
きあんなこと言ぅたけど、考えさしてもろてもえぇねんで。
■何でござります？ 干鰯のほぉ考えていただけるんでございますか？ え？
えぇ、あ、さよでございますか干鰯、え、う、うん、ううう……、ううぅ、
うぅ〜、よろしおます。旦さんにだけ、旦さんにだけ十粒だけお分け申しま
す★これ、気の変わらんうちにその紙入れこっち持って来て、お金……■お
金はこちらへ頂戴いたしますので。
◎おい、こっち二十粒おくれんか■これはどちらの？ 中手、あの隣村へご
養子の。ご立派にご成人あそばして、小さい時分にお目にかかったきりでご
ざいましてな……、何でござります？ こちらにも、へ、干鰯のほぉを頼ん
でいただけるんでございますか？
■干鰯と言われるのんが辛いなぁ。商いのほぉはせないけません、えぇ、そ
らそぉでございます。旦さんのほぉにして中手のほぉにせんといぅわけには、
えぇ、ううう……、ううぅ、うぅ〜、よろしおます。二十だけそっち、お金
は頂戴いたします。
○おぉ〜い、こっち四十おくれんか■何でございます？ ご近所の方がいま
の牛の見舞いに来てこの話を。何でございます？ ご近所にも干鰯？ 干鰯
やと言われるとつろおます……。えぇ、それがちょっと事情が……、えぇ、
ううう……、ううぅ、うぅ〜、よろしおます。ほな四十だけ……
◇おぉ〜いッ、こっち百ほど■えぇ〜ッ、噂に噂を聞き伝えて村中の方が？
この村一か村の内緒事、大っきな内緒事ですけど、えぇえぇ、えぇ、あぁさ
よか。よ、よろしおます。あと皆でえぇよぉに分けとくなはれぇ〜……
ゴジャゴジャごじゃごじゃ言ぃながら、持って来た丸子スックリ売ってし
まいましたんで。
■四、五日いたしましたら改めてまいりますんで、その折にはよろしゅ〜、
さいなら御免。
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
■さぁ出といで●まぁ、お前っちゅう男は、何とえらい男っとこですねぇ〜
■どっから声出してんねん？ 何ちゅう声出してんねん？●「何ちゅう声出
す」て、お前、干鰯や干鰯や言ぅて、ただ土丸めただけの丸子やで、ひとつ
一円でぎょ〜さん儲ぉけてホンマにもぉ。だいぶ懐が温(ぬ)くなったやろ。
【さげ】
■温くなるはずや、元は大和ゴタツやがな。
【プロパティ】
福井さんのお話＝朝日放送『枝雀寄席』番組中の対談コーナー。
福井さん＝日本の気象解説者・タレント、福井敏雄氏。故郷、阿波弁の影
響（サ行がシャ行になる）を残した話し方と緊張とも地とも取れる終
始上ずったような素人然とした独特な声が特徴的「寒冷前線(かんれー
じぇんしぇん）……でごじゃいましゅ」など独特の言い回しで「お天
気おじさん」「お天気の福井さん」「福井のおっちゃん」と愛称を付
けられ、絶大な人気を集めた。2005年(平成17年)４月27日逝去。
大和コタツ＝土でできた暖房用器具。ドーム型をした横30、縦25、高さ25
センチほどの大きさで、中に豆炭、炭団を入れ使用した。櫓を被せて
布団を乗せれば櫓コタツに、寝るときにはそのまま足もとへ忍ばせた。
ニエ込む＝めり込む。
丸子(がんじ)＝丸薬。
城の馬場＝大阪城、大手門先に広がる原。狭くても現在の駐車場か、ある
いは新旧ＮＨＫ、府警本部、大阪府庁から谷町筋にかけての広大な原
か？ 牛の放牧がされていたとの記録もある。城の馬場は町民に開放
され、子どもが駆け遊んでいたり家族で弁当を広げていたり、屋台店
も出ていという。
片町＝片町線(学研都市線)京橋駅あたり。
目角(めかど)＝眼力。
お家＝家のうち、畳みの上。転じて、その家のうちに住む主婦のことを指
していう。お家さん。おえはん。
中手＝中兄：三人兄弟の真ん中の子どもに対する称。主に伯父(父の兄)・
叔父(父の弟)などが用いる言葉。
分限者(ぶげんしゃ)＝金持ち。財産家。
ご均等(きんと)＝釣合う義から転じて、借りた金品などを早く返す意をい
う。金銭受け渡しの挨拶に「ごきんとさんで」というのは「ごていね
いに」というほどの軽い意味。
ずつのぉなってる＝苦しくなっている。術無くの転訛。
お見それ＝会っても気づかなかったり、だれであるか思い出せなかったり
した時に言う語。また、相手の能力・技量などをみそこなっていたこ
とをわびる気持ちを表していう語。
干鰯(ほしか)＝油を絞った後のイワシなどを干したもの。肥料にします。
靱(うつぼ)＝大阪市西区靱。
ドカ＝大きな。急な。ドカ儲け、ドカ損、ドカ落ち、ドカ食い。
倉敷料＝倉庫に物品を預けた場合に支払う保管料。敷料。
博労(ばくろ)＝牛馬の売買。
和泉＝泉州：岸和田・貝塚・堺あたり。
南河内＝狭山・富田林・羽曳野あたり。
中河内＝八尾・東大阪あたり。
北河内＝大東・四条畷・門真・守口・枚方あたり。
特許＝1871(明治４)年、日本で最初の特許法である「専売略規則」が成立
するが審査人不足のため、翌年執行停止。1885(明治18)年の専売特許
条例の公布によって廃止される。特許第１号は同年、京都府の堀田瑞
松による「堀田式さび止め塗料とその塗法」また、商標第１号は同年、
京都府の平井祐喜による「膏薬丸薬」
音源：桂枝雀 1983/05/29 枝雀寄席(ABC)
【作成メモ】
●参 照 演 者：main＝桂枝雀 sub＝＊
●main高座記録日：1983/05/29 ●番 組 名：枝雀寄席(ABC)
●ファイル公開日：1997/02/16 ●江戸落語相当：＊
●更 新 日：2016/10/16 ●リクエスト数：
●注 意 事 項：内容を削除、追加、改訂している部分があります。
記録日のmain演者によるさげを採用しました。
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