【上方落語メモ第１集】その十八「寝床(上)」からの続き
【事の成り行き】
＊ ＊ ＊ ＊ ＊
◆やることになりましたなぁ★やるとこになりましたなぁ、今日は久七とん
がうまいこと言訳(ことわけ)をしてくれましたんで大丈夫やろと思とりまし
たが、やることになりましたなぁ◆けど、うちの旦さん何であない浄瑠璃を
語りたがりますんかなぁ、あの浄瑠璃さえのけたらまことにえぇ旦さんでん
ねんけどなぁ。あの浄瑠璃が人に害を与えてるといぅことだけが分からんと
いぅのは不思議な旦さんでんなぁ。
★そぉだんなぁ、こらただごとやおまへんなぁ。恐らく旦さんの先祖に義太
夫語りを刺し殺したやつがあるに違いおまへん。その怨念が流れてまんねん
やろなぁ、まぁ言ぅたら祟りだんなぁ◆んなアホなこと言ぃなはんな……
店のもんが勝手なこと言ぅとりますといぅと、表からおいおいと、
▲こんばんわ、コンバンわ、今晩わ、KonBanわ、KONBANわ……■ご苦労さん
でございます。今日は久七どんにうまいこと言訳をさしましたんやが、例に
よりましてまた「家空け、暇出す」でござりますねん。皆さん方に家空けて
もらうよりは、一晩ご辛抱願ごたほぉがえぇやろ思いましてな、またお声を
かけましたよぉなことで、まことに相すまんこって……
■ところが、今日はこんなもんを手回してみましたんでな▲番頭はん、これ
何でおます？■薬ビンの詰めやろと思いますが、キルクの栓ですなぁ▲どぉ
なります？■これ、お一人に二ぁつずつ取っていただきまして「危ないな」
といぅとこが来ましたら両方の耳へ……、今日はだいぶ楽に聞かしてもらえ
んねやないかと。どぉぞお上がりを。
▲こんばんわ、コンバンワ、今晩わ……●豆腐屋さん、どぉぞこっち▲提灯
屋さん、あんたの横手へ座らしてもらいましょか。いやぁ、今日もご互いに
我慢会ですなぁ●座るなり大きな声で「我慢会ですな」とわ？▲我慢会です。
えらい声でっさかいなぁ。どっからあの声が出ますかなぁ。真夜中に動物園
の裏を通るとちょいちょいあんな声がしますけどなぁ。
▲まぁ、悪いことばっかりやおませんで。だいたいわたい怖がりでね、こと
に雷が怖かったんだ。ピカッ・ゴロッ・ビクッとしてましたんですけれども、
えらいもんでんなぁ長年にわたってここの旦さんのお浄瑠璃を聞かしていた
だいてるあいだに、少々の物音には驚かんよぉになりましたわ。この頃はピ
カッとこよぉがゴロッとこよぉが知らん顔して寝てられますわ。それもみな
ここの旦さんのお蔭やないかと……
●アホなこと言ぃなはんな……。おっ、向こぉに来たん、森田はんの息子さ
んとちゃいますか？▲そぉらしおますなぁ、呼んだげまひょか……。森田は
ん、こっちおいなはれ、こっち。
★今晩わ、ご苦労さんでございます▲どぉぞこちらへ、妙な顔してどぉあそ
ばしたんです？★ありがとぉございます。実はわたくしお母さんと喧嘩して
まいったんでございます▲ご冗談でしょ、町内いち親孝行と評判のあぁ〜た
が？
★いえ、今日はわたくし仕事でちょっと京都のほぉへ行っておったんでござ
います。帰ってまいりますとお母さんが着物着替えておられますので「お母
さんどちらへ？」と申しますと「こぉこぉこぉいぅわけで、お浄瑠璃を……」
★「お母さん、何といぅ大胆なことをおっしゃいます。体の達者なもんが聞ぃ
ても節々が痛むといぅのに、病み上がりのお母さんにはとても」と申します
と「いやいや、お前はまだまだこれから先のある身じゃ……」お母さんをそ
んな目に遭わすこともでけず「お母さんわたくしが……」とド〜ンと突きま
すと、お母さんゴロ〜ッと後ろへひっくり返りはったんでございます。
★助け起こすこともせずこぉしてやってまいりましたが、いま時分お母さん、
わたしの身を案じられまして「せがれ、あの浄瑠璃を聞ぃて脳は腐りはせん
か、肺はとろけはせんか」とご心配になってるかと思いますと、とてもやな
いがお浄瑠璃聞かしていただいてるどころやございませんので。
▲聞きなはったかもし、こぉなるともぉ害毒でんなぁ。しかし、お母はんの
おっしゃるのももっともでっせ、わたいらなんとか節々の痛みぐらいで収まっ
てますけれども、そのうちどこぞド〜ンとくらわへんか知らんと思て決死の
覚悟で……●そんな大層ぉなこと言ぃなはんな。
■今晩わ、今晩わ▲やぁ甚兵衛さん、どぉぞこっち■そこまでまいりました
ら「決死の覚悟」てな言葉が耳に入りましたんで、おだやかならん思とりま
したが……、ないことでもおまへんねんで。もぅ、せんど前のことですよっ
てにご存知の方少ないかと思いますが、卵屋さんが越してまいりましてな。
■五十前後の赤ら顔したでっぷりと肥えた丈夫そぉな人でおましたけれども、
この人が因果とお浄瑠璃が好きでな「こぉいぅ催しがあったら是非とも」ちゅ
うて、知らんいぅものほど恐ろしぃものはおまへんで、一番前のとこでこぉ
身ぃ乗り出してるとこ、旦さん出て来て例によって「オガオガ、オガオガ」
■赤ら顔の卵屋さんの顔がだんだん青ざめてまいりまして、脂汗がダラ〜ッ
流れかけた時分に旦さんがひと声「ダァ〜ン……」当たったんですなぁ、ウ
ワァ〜ンと後ろへひっくり返りはったんです。えらいこっちゃいぅて、お医
者はんへ持って行きましたけど医者が「何や分からん？」ちゅうんです。
■「こぉこぉこぉいぅわけでお浄瑠璃を」と申しますと「あ、そらもぉあか
ん。浄瑠璃に当たったやつだけは薬の盛りよぉがない……」お医者はんも四、
五軒持って回りましたけど、どことも断られて、とぉとぉ半年ほど寝てゴロッ
と死んでしまいました。
■あんまり不思議やっちゅうんで大学病院で解剖してもらいましたら、胸の
ところからこんな大きな浄瑠璃の固まりが出てまいりました。
皆ワァワァ、ワァワァ勝手なこと言ぅてますうちに、お酒がサァ〜ッと運
ばれる、お寿司がサァ〜ッと運ばれる、折りがサァ〜ッと運ばれる。部屋を
二間ぶち抜きまして少ぉし高く床(ゆか)をこしらえまして、床の前には御簾
(みす)をば下げます。
やがて旦さん床に上がって「ゲホン、ゴホン」大きな咳払いを二つ三つ、
豚が喘息(ぜんそく)患ろぉたとも、オットセェが十二指腸患ろぉたとも、何
ともかとも例え難い声で「オガオガ、オガオガ、オガオガ、オガオガ……」
■始まりました！ 始まりましたで……！ なるたけ姿勢を低くしなはれ！
上通過さしなはれ！▲うわぁ〜ッ、飛んでまっせ！ 飛んでまっせ！■そち
ら、お寿司回ってますか？ 折り回ってますか？ お酒いただいてますか？
▲へぇ結構ですなぁ、ここの旦さんご自分はお呑みにならんのに、こんな結
構なお酒を……、蔵出しでおまっせ（クゥ、クゥ、クゥ……）まことに結構
でおます。またこの折り、どぉです今日はまた何と張り込んでまっせ、だし
巻（ん〜ん……）結構な味で。この結構なお料理に結構なお酒、これでこの
浄瑠璃さえなかったら……
■ちぃ〜と誉めなあきまへん、誉めな▲やっぱり誉めなあきまへんかなぁ。
うまい、うまい、うまいぞぉ、この卵焼！■東京では「どぉする、どぉする」
てなこと言ぃますけどこっちでは「後家ごろし、後家ごろし」っちゅうのが
誉め言葉だ。言ぅてみなはれ▲さよか……「いよぉっ、後家ごろし、後家ご
ろし……。人殺し！」
皆がワァワァ、ワァワァ言いながら、お酒を呑んではおしっこに行き、寿
司をつまんでは縁側へ出て一服し、前がザワザワァ〜、ザワザワァ〜してま
したんです。そのうちに前がシシラシ〜ンと静かになったといぅのは、呑む
やつは呑んだ、食ぅやつは食ぅた。腹の皮が張ってまいりますといぅと目ぇ
の皮がたるんでくる。
あっちで一人ゴロォ〜ッと倒れ、こっちで一人ゴロォ〜ッと倒れ、ゴロゴ
ロ、ゴロゴロ倒れだしたんです。前がシシラシ〜ンといたしましたんで。
旦さんはお素人衆でございますから、人が聞こぉが聞こまいが「オガオガ、
オガオガ、オガオガ、オガオガ」やっておりましたが、前がシシラシ〜ンと
しますと「あぁ、こら聞き入ってきたな」てなもんで、一調子声張り上げて
「ホガホガ、ホガホガ、ホガホガ、ホガホガ」やっておりましたが、ものの
二十段も語りました時分……
●ハァ〜、ハァ〜ッ……、ちょっと待っとくなされ、ちょっと待っとくなさ
れ。今日はいつにのぉ気持ちよぉ語らしてもらいました。それに、前もこの
通りシ〜ンとして聞ぃている、皆も聞き入っているに違いない……
「どんな顔して聞ぃとるんやろ？」と、御簾ひょいっとめくってみますと
いぅと、聞き入っているどころのさわぎやない、最前も申しましたよぉに皆
ゴロォ〜、ゴロォ〜倒れてます。中にはグ〜グ〜いびきかいて寝てるやつが
ある。
●何ちゅうざまじゃ……。これ、番頭どん、起きなはらんか▲（ふわぁ〜）
どぉする、どぉする●何が「どぉする、どぉする」じゃ……。そこで泣いて
るのは誰や？ 定吉か？■定でおます●聞ぃとくなはったか。皆がこの通り
ゴロゴロ、ゴロゴロ寝てるのに、うちの定が泣いてくれてる。嬉しぃやおま
へんか。定吉、こっち出てこい、こっち出てこい。お前が大きなったらうち
の一番番頭にしてやるぞ。
●どこが悲しかった？ はじめのほぉか？■はじめはえろぉ悲しぃことなかっ
たんで……●ふんふん、中程からか？■中程からボチボチ悲しなってきたん
で……●終わりのほぉは？■たまらんよぉになったんで……
●浄瑠璃といぅものは聞き込んでくると随分と悲しぃもんじゃろ？■別に浄
瑠璃が悲しぃて泣いてんねやおません……●浄瑠璃が悲しぃて泣いてんねや
ない？ そちゃ何が悲しぃねん？■皆、こぉしてお休みになってますが、わ
たしだけが寝ることができませんので……
●何でそちだけが寝ることがでけん？
【さげ】
■わたしの寝るところが丁度、床(ゆか)になっとります。
【プロパティ】
手回る＝(必要に応じて)手に入る。
キルク＝コルク：オランダ語(kurk)。樹木のコルク組織を切りとって加工
したもの。軽くて弾性に富み、水・ガス体・熱などを通しにくい。栓・
保温材・防音材・救命具などに利用。
せんど＝長らく。長時間。また、何度も。何べんも。千途であろうか？
『大言海』には「千度」とある。
床(ゆか)＝浄瑠璃を語る太夫や三味線ひきが座る場所。高座。ちょぼ床。
喘息(ぜんそく)＝発作的に起こる痙攣性の呼吸困難状態。一般に気管支喘
息と心臓喘息をいう。
蔵出し＝製造したものを蔵から市場に出すこと。
音源：桂枝雀 1980/11/30 枝雀寄席(ABC)
【作成メモ】
●参 照 演 者：main＝桂枝雀 sub＝林家染丸
●main高座記録日：1980/11/30 ●番 組 名：枝雀寄席(ABC)
●ファイル公開日：1996/09/16 ●江戸落語相当：＊
●更 新 日：2016/04/17 ●リクエスト数：
●注 意 事 項：内容を削除、追加、改訂している部分があります。
記録日のmain演者によるさげを採用しました。
| 
